相場戦略研究所

 相場哲学 鏑木繁 相場喜怒哀楽

相場は、入る時期(場所)、出る時期(場所)、を事前に決めておき、
 それを実行することにより、利益を確実に手にするものである。p27

相場は一年に一度しか大きく取るチャンスはない。だから、判りにくいところは休んでいるに限る。p17

相場の仕掛け時は、内部要因で人気の片寄りが究極的に大きくなった時である。
 そうした戦機を待てば、百戦して危うからず。p13

相場が賑わっているときでも、80%の安全性が確信できるまで傍観している。
 相場の転換点には安全性80%の世界が一時的に出現する。(是川銀蔵) p148

相場の名人は、相場の流れについて行き、頭打ちになったら身を引くものである。p154
 相場の秘伝は相場についていくだけ。
 ついていくというのは、相場に逆らわない=自分の相場観を持たない=身軽に変身すること。
 ひたすら無心に相場についていく。P142

相場のプロは"どこで逃げるか"だけを考えているものである。 プロは熱くはならずに醒めていく。p92

相場=喜怒哀楽のうつろい事 の中で飯を食っている人は、飯の食い方を知っている。 p95

勝負の世界でプロが負けてばかりいては生活ができない。
 闘って得た金を維持するには器量が必要で、それは 忍 である。
 忍耐の忍とは己を知ることであり、天を畏れるということである。
 攻める姿勢ではなく、守りを固める 時を待つ 相手の動きを見つめる 心構え。 p181

得たものを守ろうとする心情は儲けようとする思いより強いから、攻めながら守ろうとすると失敗する。
 攻めなら攻め、守りなら守りで一貫したほうがいい。 p49

プロ相場師でも、魔がさすと、すってんてんになる。 p7

プロ相場師は勝利するために徹底的な自己管理の世界にいる。
 相場の人気は、高いと買いたい。安いと売りたい。持ち合うと判らない。
 相場は、この人気の裏を縫っていくから、大衆は高値掴み、安値売り込みになる。
 待つは仁。待つためには体力、資金、精神的我慢、読みが必要になる。 p126

お金持ちは市場に閑古鳥が鳴いて、相場が凍てつくような安値に凍えたころから、ゆっくり買い出動する。
 大衆のポケットに一文の金もなくなった頃、お金持ちはゆっくり出てきて大きな獲物をしとめるものである。 p99

相場の世界ではツキ、ツカぬがあって一定期間、表面に出てくる。
 条件が揃って大きく儲かったということは人生に何回か訪れるツキによるものである。
 このツキは非常に気まぐれで、ふいにどこかに飛んでゆく。
 だから自分のツキを浪費せず大切にすべきである。 p130
 相場の世界では四斗樽一杯の才能よりも盃一杯の幸運が勝る。p143
 今の自分にツキがあるのかどうかは誰にでも判る。  p161
 衰運期でも悲観絶望しなければ循環の法則で盛運期がくる。 p177

相場師の予知、予覚能力は、常勝すると身を守る本能が希薄になるため消えてしまい、没落する運命になる。 p33
 相場世界には潮時というものがあって、身に余る大儲けをした後は、儲けた金の力で目がくらんで人生を失敗する。 p75

天井圏で利食い完了すれば、百点満点であるが、相場師は満足せず、
 強欲にも「なぜドテン売りして下げを取らなかったのか?」と不満を待つものである。 p43

天井3日近辺では、「人より早く利食いしよう。」「損のないうちに手仕舞いしよう。」という
 利食い急ぎによる崩れで厳しい下げになる。 p43
 相場のパニックにおいては自分一人でいるほうが判断力は冷静である。 p151

『食えなんだら食うな。』 食えなんでも食いたい。食えなんだら死ぬ。死ぬなら死ね。
 『死ぬのは一人。』 その一人になりたくない。 p57

しまったは仕舞え、見切り千両 という言葉は江戸時代からある。
 相場に曲がるのは病気である。 p83

本間宗久の休めというのは相場から目を離さず、建玉を絞れ という意味の休めである。 p91

曲がりの病気がひどくなると、どうにもならん一種の精神的狂乱状態になる。
 曲がっている玉を切った時に、なんと阿呆な ということになる。
 「危うきに逢わば、すべからく棄つべし」 p107

満玉張って、絶体絶命、もう後はない という張り方をしない。p115
 失敗した相場はたいがい建玉が膨れ上がって満玉になっているものである。 p133

難を知る。
 順調にいっている相場でも、ある時期を過ぎると、もう引き返しのできない場所に入るものである。
 引き返しのできないというのは利食いできない、逃げられないというところ。 p118

相場必勝法なる本はいくらでもあるが、すべて相場地獄編が欠落している。p4 p176













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