相場戦略研究所

 『相場師』 考 


相場師は蓮の花

税理士に「どうして相場師という職業がないんだ」と尋ねた。

「公序良俗に反する仕事は職業として認めないんです。泥棒、暴力団、売春婦、もっとも名称を変えてフーゾク嬢なんて認めていますから矛盾しますがね」

「早寝早起き、金銭感覚を正しくし、深酒をせず、質素な生活で身を慎むのが相場師。

反対に、朝寝夜遊び、バブル的金銭感覚で、キーワードは地上げと贈賄が不動産業者。どちらが公序良俗に反するか明白じゃないか」

「社会通念の問題です。民主主義ですから少数異見は通らないんです。そもそもね、モノを製造する仕事ではないですね。

モノを造り扱う商売は、とにかくモノがありますが、カネだけ扱う商売は、表面はキレイごとを装っていますが、内実は汚いはずですよ」

もう議論してもしかたがない。

社会通念として「カネだけ扱う商売」は口先三寸、人をダマすと思われているのであろう。

もしそうだとしても、相場師は、その汚い泥沼に咲いた蓮の花にも似て・・・・・」


林輝太郎著「相場師スクーリング」p.75より


間口二間のラーメン屋に相当する相場師

個人営業の、それこそ商売に例えれば、間口二間のラーメン屋に相当する相場師たちは、

虎の子の資金で堅実に稼いでいるわけで、

筆者の周囲にいる相場師でも、売買は一枚二枚の単位、

株で生活している人でもやはり1000株、2000株の商内、

また、最高建玉数は50枚、5万株くらいなのである。

それで十分に生活費を稼いでいけるのだ。


林輝太郎著「相場師スクーリング」p.35より


相場師は坊主と同じ

「相場師ってのはね・・・・・」

ある高名な大阪の相場師、教えを乞いに来た人に次のように言ったという。

「意外につまらない商売なんですよ。

時間が自由になるとか、

他人に頭を下げなくてよい、とかいうメリットのあるかわりに、

すべてが自己責任ですから、

(1)絶対に冒険が出来ない

(2)日常生活が地味になる

という華やかさのない仕事なんですね。

忘年会でも酔えませんよ。翌朝の場帖の記入が待ったなしですからね。

常に金銭感覚を正しくしていなければなりません。

つまり、実利を求めるのですから、浮利を得ようという考えを持てません。


考えでも行動でも、どうしても経済原則の範囲内のもので、慎重です。

臆病にさえ見えるでしょう。

もし、少しでも派手な生活になるとすぐ売買に波及して破産に直結するのですから、常に身を慎んで・・・・・ 」

「お坊さんみたいですね」

「なまじっかの坊主より坊主らしいくらいです」


林輝太郎著「相場師スクーリング」p.45より


相場で生きている人たち

相場師は単調な、資料(罫線を含む)の作成と建玉の管理に人生の大半を費やすことになります。
そして生活は質素になります。

相場で「生活費を捻り出」して生きている人たちは、リスク管理が徹底しており、

生活が派手になりますと、玉の操作が粗雑になりますので、

生き残りをかけて、極力ストイックな生活を自分自身に強いているのです。


林輝太郎著「相場師スクーリング」p.48
(「オプションの基礎の基礎」宮崎肇 林投資研究所)より



相場師が会社を辞めない理由

相場でメシを食っている人は相場と関係ない立場で、ごく普通のサラリーマンをやっている場合が多いのです。

これは、社員が商品相場をやっているということが発覚すると白い目で見られ、人事部長に呼ばれて始末書を書かされ、相場が張れなくなってしまうからです。

そのため会社の同僚には相場をやっていることなどを覚られず、ひたすら内緒にして相場で食っているのです。

「それならば、会社なんか辞めてしまえばいいのに〜!」と、お思いの方もおられるでしょう。

しかし、実際にはサラリーマンを遣っているか、定年退職して相場とは何ら関係のない自営業を営んでいる場合がほとんどです。

これには2つ理由があるようです。

<その1>
サラリーマンを辞めて、相場だけで食っていることを警察も税務署も信用しないから。

繁華街でもうろついていれば、麻薬の売人と疑われてしまう。

<その2>
相場でメシを食うためには、毎朝早く起き、場帖を作成し、テクニカル分析をし、レバレッジの戦略を練って、寄付成行に間に合うように玉の操作の注文を出します。

二日酔いをしますと、デシジョンメイキングに誤りを犯しやすいですし、ましてや朝起きられずに玉の操作のタイミングを失して一度相場の波乗りのリズムを外してしまいますと、その後の玉の操作がグチャグチャになってしまいます。

そうならないように、相場でメシを喰っている人は、日頃から規則正しい生活を送れるように摂生しているのです。

そういう事実を書いたのであって、「相場でメシを食いたきゃ、ストイックな生活をしろ!」という意味ではありません。

脱サラして自由になりますと、人間なかなか規則正しい生活を送るのが難しいようでして、そのために、他に仕事を持っているのです。


「オプションの基礎の基礎」宮崎肇 林投資研究所より


『マーケットの魔術師』の大成功した相場師

大成功した相場師は、すべからく『すごーく強運な順バリ屋さん』であるということです。

この名著に登場する超一流の相場師のように、大儲けするには、順バリでカバッと値幅を何度も繰り返してつかむ必要があります。

しかしながら、こういった戦術は射倖性が強いのです。

ですから、たった一回の逆行で、身の破滅になってしまいます。うまくいくためには、相当な強運が連続し、続かなければなりません。

私のように生まれてこのかた、よいことなど何一つ無かった人間にとって、順バリで生き続けることは不可能です。

故に私は、仕手性の高い大化けする銘柄を避けて、リズミカルにうねる銘柄をみみっちく掬っていくやり方をするのです。


「オプションの基礎の基礎」宮崎肇 林投資研究所より


鈴木 隆の『金泉相場』

  金泉相場とは

1.3ヶ月中心相場 上下約半年
2.6ヶ月中心相場 上下約一年

これである。

それで私は、
上の2つの天底を観察して金泉相場を逃がさずば、泉の如く金が入ってくる。
何人も財を積み、産を成すことを得るものと信じる。

さて、そう肝を決めて 私は金泉相場以外には同士に勧めない。

(中略)一相場は 大体3ヶ月中心と言うべきだが3ヶ月より幾分短いことが多い。

6ヶ月中心相場は三年に一度、異変好況の年は必ずある。
3ヶ月中心相場に比較すれば波乱規模が大きいから、その何倍という動きを見せるであろう。

したがって、3ヶ月中心相場で儲けた幾度の利益よりも、6ヶ月中心相場一つで得た方が利益が大きいことも事実である。

それ故にこの業界の志士は、全知全能をあげ、あらゆる苦難を忍んで、6ヶ月中心相場を逃さないことを希望する。

6ヶ月中心相場の特徴は発足が、始めは穏やかであるが、上げ幅が3ヶ月中心相場に比べると大幅に飛ぶので、 旧来の小相場に慣れた頭で、利が乗ると忽ち利食いしたり、中には売り越したりすることもある。

「林輝太郎投資研究所 研究部会報2003年11月号」p.42より


ヤコブ・リットル

彼の日常生活は投機以外の何者もなかった。

社会的な地位や交際に何等の価値をみとめず、全生命は投機の計画を中心として間断なく躍動し、

いかにしてうまく商売をやり、いかにして新しい術策を応用し、いかにしてより大きい思惑をやろうかということが、 彼の日常の思索、懊悩の中心であった。

投機は彼の唯一の仕事であり、恋愛であり、宗教であった。


林輝太郎著「商品相場の技術」p.513より


立花義正のメッセージ

市場に売買の技法というものがあり、それはいくつかの優れた山になってそびえている。そのたくさんの山の基本は、すべて分割売買である。自分はひとつの山を登りつつあった。しかし、ほかにも優れた山がいくつもあった。が、いまから他の山に登ろうとは思わない。自分の山だってなかなか良いではないか。

もし自分が売買をはじめた頃、林先生の本を読んでいたらどうなったであろうか。おそらく、早く基本の方法を知ることができたであろうし、また基本から積み重ねられたことだろう。自分は長い間、間違った売買を行い、山を登れなかった。山を登るにはどうしてもふもとからだ。そのふもとには基本の売買以外に道はない。

しかし、知ることと身につけることはまったく違う。まず出来るようになることだ。知っていてもできなければ役に立たない。本を読んでひとつの山を知るとどうなるか。自分の身につけた売買が正しければ自信がつく。正しくなかったら直せばよい。とにかく山を知り、登っていかなければならない。

読者のみなさんは、おそらく山を登りかけているでしょう。その道は分割売買以外にはない。分割売買でさえあれば、どんな道でも迷うことはなく、踏み外す恐れもない。

しかし、決して平坦ではなく、胸突八丁のつらさもあるし、泣きたくなるようなこともあると思うが、耐えなければならない。

そうすれば必ず上の階段に登れる。

迷いの霧を過ぎれば、明るい太陽と美しい景色がみられるのだ。


立花義正著「あなたも株のプロになれる」p.194より


『兵法家伝書』

さまざまな習練を極限までおこなえば、手足や身が自然に動き、心はなにも考えないでいられるものである。

心は習得した技に従おうと思わないのに、身の動きは正確に技をあらわす。

敵に対するどのような対応も、自由に、とらわれない境地でおこなえる。いかなる天魔外道も、こちらの内心を読むことはできない。

すべての物事は、完全に体得すれば意識せずにおこなえるようになり、それが道の極意というものである。


柳生宗矩 『兵法家伝書』より




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