商家秘録 大玄子 著 2015/1/29(木) 午後 1:22
序
産業商家の道は国土の財宝を通じ、余れるものをもって不足の国に交易する。
商家は士農工商 四民の下に居すといえども、大いに四民の用を弁じている。
中でも米穀は人間が一日も欠かすことができないもので、米価の高下掛引の一部始終において、仁義を離れては利を得ることはない。
貪欲を第一にし、小利に迷い、本筋を外れて、米相場で利潤を得た者はいない。
米相場によって功を立てようと志す人は仁義礼智信の五常を忘れず、陶朱公の方法に即して富を成すべきである。
米相場を志すなら本書を熟読して、儒者が大悟道を得るように一心大丈夫にして鉄石のごとく、たゆまず 変ぜず 迷わず に売買掛引の理を考えるなら、中らずといえども遠からじ。
しかし、この書は多くの人を教えるためのものではない。自分の覚書であり二、三人に与えるものである。 大玄子 書
一 諸商売の論
諸商売 品々多しといえども利潤を求めて仕事をすることにかわりはない。
売の字は買いの字に十一を加える。これは十の一を得ることを定法とする意味で、これは一割である。
しかし、多く売買できる商品は わずか一歩の利を得ることで家業としている。
商いが少ない、あるいは品物が減損する商品では、高利を得なければ家業にできない。
すべての人がそれぞれの理を守って渡世を油断なく励めばいずれの道でも立身出世できないことはない。
古の諺にも 小富は勤めにあり、大富は天にあり という。
勤めていれば富まなくても貧窮の憂いはない。
これに対し、大いに富を得ることは 運に乗じ時を得なければ できることではない。
人間は一生の内で、こうした立身出世の運に乗ずるチャンスが必ずあるものである。
この時をはずしてはいけない。
とりわけ米の帳合商い(米相場)は高下 目たたく間を待たず、貧富も目たたく間に替わってしまう。
動かない時は一日 五日 十日に限らないし、大変動、日柄の狂いも予測することはできない。
これは物に例えれば 灘を走る船のごとくである。
船に乗るには三つの慎みがある。
一 油断 二 不功 三 不敵 である。
油断より乗り遅れや過ちをなす。不功より日和を見損じ、難所を調べない。不敵により大風に高帆を開いたままにし、大波なのに荒乗りする。
これらの行為により災害が多くなる。
優れた船乗りは油断なく、信心堅固の心をもっているから過ちが少なく、千里も一日で走破する。また重宝に万民の要を達するのは船以上のものはない。
米商いもこれと同じで、
油断より 利を取るべき時を忘れ、損を見切り逃げる時を外し、利に乗じて米を多く仕入れる時を失い、
不功より 仕掛けの商いに覚悟なく、思い入れの立て方も人気に迷って思慮浅く、臨機応変の掛け引きに疎い。
不敵により 大高下のとき、身上不相応の大俵米を恐れずに仕込んでしまい、少しの変動で持ちこたえができず利益になるべきところを損で手仕舞いしてしまう。
また、底値を売り込み、天井を乗せる。これは勝ち戦に長追いして伏せ勢にあたり、かえって敗北するのと同じである。
真に上手い船乗りの油断ない掛け引き、安全な渡海を勤める時は、災害は少なく利益は多いものである。
熟練した船乗りでも天の時を得なければ過失を犯す時もあるが、不功者の船乗りのように大事に至らす、心に油断なければ、無事に湊に帰りつくこともできる。
総じて損する人の多くは 欲と迷い によって売買することに原因がある。
五厘一分二分の小利をねらって売買を仕損じ、天井と底を心がけて取るべき利益を取らないで、無になすことが多いのである。
だから、欲と迷いを離れ、一途に相場の高下を進退すべきである。
大立身を急がず、時を待つ の心を成し、己の分際相応 気の痛みにならないように心掛けるべし。
米の帳合商いは虫入り、升減り、倉敷の損失もなく、利益になるときは、際限のない富を得られる宝の市というべきものなのである。
商家秘録 その2 2015/1/30(金) 午後 2:00
二 米商い覚悟心得の事
米相場は米の値段の戦いである。
昔、今川義元は緒戦に圧勝したため敵を侮り勝ち誇って桶狭間に陣していた。
そこに織田信長が閑道より逆襲して、わずか三千の兵で義元の二万の兵に打ち勝った。
これを相場に例えれば、米の値段がだんだん高くなり、一向に下がる気配を見せず、買い人気が優勢の時、その虚実を考え売り出動すると、その僅かの売り注文がきっかけで買い人気が崩れ、下がることがある。
この理を考え、人気が偏った時は、変化の兆しであると知るべきである。
また、昔 足利尊氏が京の戦に負け西国に敗走した時、追撃して討ち取るべきところを、大将の新田義貞は追撃を怠った。
楠正成は今追撃しなければ敵は勢力を取り戻すと再三諌めたが義貞はそれを聞かなかった。
はたして、足利尊氏は西国の兵を結集し京に攻め上ってきたため、義貞は敗北してしまった。
これも相場の良い手本である。例えば米の値段がだんだん下がる時、追っかけて売り乗せる。
これは敗走する敵を追うに等しい。その機をはずしてはならない。
安値で手仕舞いする時には過分な儲けを手にすることができよう。
しかし、万一追撃売りした米が裏事情によって、だんだん高くなってきて、初めより高くなることがある。この時にはけっして向ってはならない。
これらを教訓として万事にあてはめ考えるべきである。
買いの場合も売りと同様である。
こうした高下は一日の内に起きることがある。また五日 十日 一月 二月の日柄で起きることがあるから深く考えるべきである。
三 米商い慎むべき次第
米相場を志すなら、大酒、女遊び、博打は絶たなければならない。
相場が動かない時に、こうした慰み事をやっていて相場が動き始めたら即座に止める算段でいても、いざとなれば止めることができず、肝心の高下を取りはずすことが多いものである。
相場がいつ動きだすかは計れないものだし、陰極まって陽生ずる というように 小動きは大高下の始まりでもある。
相場の道は、風波に渡海する思い、武士が戦場に望む心 を以って掛け引きすべきものである。
曲がってしまっても、嘆かず、恐れず、驚かず、静かに思慮して事を先延ばしにしてはならない。
碁における『勝とうとして打つのではなく、負けないように打つべし』という心をもって、心身堅固 大勇猛の了簡で売買を行わなくてはならない。
この勇猛心がない人は、けっして相場をしてはならない。諺も 一胆 二運 といっているくらいである。
商家秘録 その3 2015/2/5(木) 午前 7:07
四 相場高下論
相場の高下は人の売買によって高下するが、それは人力の及ぶところではなく、天然自然の道理によるものである。
資金力のある人が金の力で売買し、あるいは買占め、売り崩しを行い、一時的に米が高下したようにみえても、その値動きが長続きすることはない。
万民の人気が日本国中から集まって起きる高下であるから、どんな大金持ちでも一人の力で相場を動かすことは不可能である。
米相場は商いが始まれば米の仲買人の指先によって、数千人の人々が鳥のねぐらを争うように、毎日数十万俵を売買し、一俵の差異もなく、日々滞りなく記帳されるという、ほかに類のない商いである。
相場がどのように変動しても邪(よこしま)をいう者はなく、多くの産業の中でもこれに勝る正直な商いはない。
たとえ悪人が混じっていても、偽りをもって米相場で立身出世できないことを知るにしたがって、自然に邪をいう者はなくなり正直が習慣づくものである。
このように米相場は天地自然の理をもって高下することは明らかである。
米相場による米価が尺度になって諸万物の価格水準を知ることができる。
このような道理があるから、米相場を行う人は正直を元に商いするよう決心し、私心をもって相場に贔屓をつけず掛け引きしなければ立身出世はできないものである。
五 相場巧者の伝
相場を仕掛ける時、最初に損失額を決めておく。
例えば銀一貫目あるいは五百目、百目、これを捨て金にしても気の痛みにならないようにするのである。
重ねて仕掛ける際も同じく捨て金を決めておく。
二、三回曲がっても気の痛みにならない分際相応の額を見積もって、試し玉として小枚数を仕掛かるべし。
千枚なら二百〜四百、百枚なら二十〜四十とする。
また、相場の途中で自分の方針が違っていた時も、当初決めておいた損金で手仕舞うと分別し、それより多く損をしてはならない。
何度もこのようにすれば、損は百目ずつ、三度でも三百目。五十目ずつなら三度で百五十目である。
見込みが違わなければ利益であり、この利益の時の掛け引きについては本書の記述を熟考することである。
このように売買すれば、損はたびたびでも少なく利益は一回でも多くなる。
五回の売買で三回の損より二回の利益のほうが多い。これが相場巧者の仕方であるから深く味うべきである。
商家秘録 その4 2015/2/11(水) 午後 3:55
六 長思い入れの建て様
長思い入れ とは米の全体をみて、相場の発会より納会までの見込みを考え、売買を仕掛けることである。
豊作凶作、米の出来不出来、ならびに天気人気を考え合わせ、相場師たちの策略はまちまちであるが、重要な点を把握し、自分の心を依怙贔屓なく天地の間に一点の曇りもない状態にして相場の見込みを立てるべきである。
さて、この相場は上がるか下がるかを察して、売買は前段で述べたように、予め損金を決めて仕掛け、相場が自分の思惑通りになったら五〜七分のうちに利乗せするべし。
だんだん利乗せして利益になった時は、自分の見込いっぱいに利食いしようと思うものだが、その七〜八分で手仕舞いするべきである。
損になったら、予め決めておいた損金に達しないうちに思案して、迷わず過ちを改め損切り手仕舞いしなければならない。
自分の思惑が間違った相場を、無理に取ろうとするのは天理を人力で抑えようとする無駄な事である。
相場の高下は人力の及ばざることと納得して、速やかに過ちを改めるべきである。
七 思い入れ掬い仕様の事
相場の見込みが立ち、五匁、十匁、一割の高下を見込んで売買を仕掛けるのは長思い入れ(大勢張り)である。
しかし、十匁上がる米も五匁上がって二匁下がり、一割上がって四、五歩下がってから、また上がることは相場師の常識である。
その場合、連騰した時、または続落した時に見当をつけて、一匁、二匁の利食いを心掛けることが思い入れ掬いである。
このやり方は相場の日足を見て考え、上げかかる所、下げかかる所を仕掛けるのは勿論であるが、連騰して止まった所で二匁ほどの押し目があると思う所でも仕掛けてみる。
思惑が外れ、さらに五、七分の上値があれば難平してもよい。それでも上げ続ける場合は日足を見て、損切り手仕舞いすべきである。
仕掛けから難平した所から思い通りになってきた時は、三〜五分の間に利乗せするべきである。
古来と違い人々は勘定高くなっているから、早い利乗せが肝心である。
一匁上がった時、なお二三匁上がりそうだと思っても、一旦振るい落しがあった後、思っていた値段になることがよくある。
これを考えて一匁も利益になった時、日足的には納得できなくても、思案して、
今 手仕舞いすれば利益になるが、これを取らずにもう少しよけいに取るか、仕掛値まで持ち堪えて利益を捨てるか、三つの内、どれを取るべきかであるが、まず一匁の利益を確保して手仕舞うのが安全である。
持続した場合に、思惑通りの振るい落しがあれば、止まる所を計って油断しないことである。
止まらず、納得できないときは早く見切るべきである。
これが思い入れ掬いの概略である。
五日 三日の日足の足取りと、相場の様子を見て掛け引きする 思い入れ掬い という手法である。
下げで利益を狙う場合も、上げに準じて考えればよい。
商家秘録 その5 2015/2/14(土) 午前 7:57
八 掬い商い異見
掬い商いは腕に覚えのある上手い相場師が、一日の高下を考え、五厘、一分の当座の利を取るもので、多くは相場仲買人の熟練者が逃げ場を決めて油断なく行い、これによって渡世するものである。
とはいっても、外部より、仲買店に注文を委託し、手数料を払っての掬い商いは好ましくないことである。
少ない利益を取って素早く相場から撤退できなければ、掬い商いにならず、外部の人間では市場で場立ちをすることはできないから、その手筈が合わない。
また、うまく行って利益がある時でも、雑用が多くかかる割には利益が少ない。
しかも、それ以外の時は損失になるのであるから、よく考えるべきである。
もし、大勢張りの建玉を持ち、高下いずれにも行かず退屈な時、買い建てならば売り掬い、売り建てならば買い掬いを行う。
うまくいくようなら、これを何度も繰り返して利益を積み重ねる。もし、損になっても大勢張りの建玉を減らせばよい。
しかし、こうした安全な方法でも、大勢張りの建玉を持ったまま掬い売買を行うのは、本来は好ましくないことである。
九 難平商い異見
利食い難平というのは、売買を仕掛けて利益なれば小枚数で利食いする。
損になれば増し玉して平均を取り、損をしないようにすることである。
相場は値が行ったり来たりするものだから、十回のうち九回は利益になるものである。
しかし、十回のうち一回の相場の大波を食えば、身上に拘る大損をするものであるから、米相場師の嫌うものである。
難平に熟練した者は別であるが、初心者はその真似をしてはならない。
商家秘録 その6 2015/3/28(土) 午後 3:51
十 相場発会前に方針を立てておくべき事
五節句後の相場発会から売買を仕掛けようと思えば、まず、その前日までに 相場の大手 有力者の動向、その他の要因を聞き調べて思惑を立てておくべきである。
発会後は値動きが荒いから、その値動きに心を奪われてしまい、すぐに方針を定めることができないものである。
小枚数であっても、慌てて仕掛けた時、その小さな建玉に執着してしまい、大損になることがある。
予め、売りか買いかの方針を定めておき、売買を仕掛けるべきである。
(十一 十二 省略)
十三 一日の高安の見積もり方
米が一匁も上がった日は同日中に下げることはないものである。
その訳はその日に買付けた玉は利が乗っているから、買い手の勢いが強く、その日は下がらない。
下げた日も同様で米が一匁も下がった日は上げることはない。
しかし、六分までの高下は このかぎりではなく、どのように変動するか定まることはない。
大引による翌日の高安の見込み
寄付から大引けまで、だんだん安くなり、大引けが安値引けになれば、翌日もますます安値がでるものである。
また、大引けに二三分でも戻した時は、だいたい下げ止まりである。
上げの場合も同じである。
商家秘録 その7 2015/4/10(金) 午後 3:54
十四 思惑のない商い 仕掛けるべからず
方針のない売買を仕掛けてはならない。
仮に小掬いのつもりで仕掛けた場合は、最初から損失を見積もっておき、見込み違いなら損切りで早く手仕舞いすべきである。
僅かの建玉であっても、そのままにしておいては肝心の方針が定まらないだけでなく、自分の建玉を守ろうとして増し玉し、大損となるものである。
だから、方針のない売買は決して仕掛けないことである。
十五 間違いは早く改めるべきこと
まじめな商人が米相場を蛇蝎のように嫌い、戒めるのは理由がある。
僅かの資金で多量の米を売買できるから、すぐに大儲けできるし、あっという間に大損になるものである。
普通に商売をしていた者が米相場に目をつけて、派手な生活や女遊びをしたいがために、親の金をかすめたり、主人の大切な金を使い込む事例は枚挙にいとまがない。
世の中の王侯から士農工商にいたるまで、皆それぞれの勤めがあって、その本職を守れば家は長久である。
その守っていくべき家業をを忘れ、邪な心をもって米相場に手を出すものに天は勝利を与えるはずがない。
最初から損をして身を誤ることは明らかであるから、先祖から伝わる家業を持つ人は米相場に限らず、すべての相場に手を出してはならない。
欲に目が眩んで冷静でない心で相場を張ったなら、たとえ最初に幾分か利益を上げても、結局は身の破滅を招くものである。
知らぬ小判商いよりも、知りたる小糠商いがまし という古くからの諺のとおりである。
しかしながら、相場に手を出して大損になり、損を取り返そうとして さらに損を重ね、ついには身上を仕損じてしまった。
多少は相場の経験を積んだのに、真剣に相場に取り組む心は起きず、貯えも使い果たした時、俄かに日が暮れて暗くなったように後悔して相場を止めてしまうものである。これも間違いである。
初めに損をした時に、速やかに相場から手を引くことがもっとも良い。
だが、財産をつぎ込んでしまった段階で相場を止めてしまっては、もはや取り返しはつかない。
相場を続ければ、いつかは元の境遇にもどって心安らかに暮らせるかもしれないのだ。
そうした境遇に陥ってしまった時は、十死に一生を得る思いで 世間のことに関わらず、粗末なものを食べ、身にぼろを纏おうとも 一心不乱に相場に取り組んで、損を取り返し、以前の生活に戻るのだと志を定めるなら、念力岩をも通すというように、ついには願いがかなうということもあるだろう。
また、先祖より米相場に関わる家は、この論の限りではない。もっとも、幼少より深く米相場の道をさとすべきである。
*
林輝太郎先生の「相場の道 松辰遺稿・現代語訳注」第2編五常の説にこの『商家秘録 大玄子 著』がでてくる。
原書を持っているので、一部 現代語に書き直してみた。 相場戦略研究所 管理人