三菱自セクハラ訴訟 作られた“真実”の力
[1998年06月20日]

 少し前、ベトナムを旅していてブンタオに縫製工場を開いた日本人企業家に会った。

 「労働コストが安い。最低賃金が月五十ドルで、それではあんまりだと思って上積みしています。何より勤勉なのがいい」

 企業が海外進出するとき、最も関心を払うのが労働力の質とコストで、その意味ではベトナムは及第点だが、「ただ、言葉の問題が少しあります」。

 ベトナム語は六声である。例えば「マー」という言葉はその抑揚だけで「母」にも「墓」「稲」にもなる。日本人がなかなか話せないのもこの複雑さのためだ。

 だから会話は英語になるが、ベトナムは長い間の米国の制裁措置のため、英語はインドにいって習った。そのインド英語を「六声風に発音するので慣れるまで大変でした」。

 それでも外国企業を誘致すれば雇用が創出され、地域の活性化にも役立つから「ベトナム政府もわれわれの不満に懸命に対応して環境整備や語学教育に力を入れてくれる」という。

 そのインドも企業誘致に一生懸命で、豊富で低廉な労働力を売り物に南部の高原都市バンガロールを「アジアのシリコンバレーに」という構想をぶちあげている。

 ただ、インドでは「ニューデリーでさえ朝夕二時間ずつの停電と断水が日常化していて、豊富な労働力だけでは…」とジェトロ職員はいう。進出企業にとってインフラも重要なのである。

 「その点ウチはいいです」と米国各州、とくにイリノイ州が熱心に日本企業に誘いをかけた。うたい文句は多い。まずインフラは日本など比較にならないほどいい。労働コストも日本より安く、レイオフどころか解雇も原則、自由にできる。それにイリノイ州はドイツ系移民が多く、勤勉で教育程度も高い。

 ベトナムと違ってみんなきちんとした英語も話せる。

 米国進出をねらっていた三菱自動車がその宣伝文句に乗ってピオリアに出たのは十年前、一九八八年のことだった。

 乗り込んでいってすぐ土地詐欺みたいな目に遭い、さらにクライスラー社からそっくり引き受けた従業員の中にワルさをするのがいて十人ほどを解雇したこともあったが、宣伝文句はおおむね正しかったように見えた。実際、組み立てライン工の募集に大学卒が二百人も応募し、中には現役の大学教授というのもいて驚かされた。

 「感激しました。会社もそれにこたえて給料や福利にも気を配りました」と同社幹部はいう。

 おかげで「三菱はこの街で誇れるいい会社」(同)になり、社員は会社のユニホームのままで街に出る者もでてきた。

 そんなとき、連邦政府の雇用機会均等委員会(EEOC)が重大発表をした。「三菱の工場で広範囲にセクハラが行われている」。それもなまじじゃない。「彼女らの乳房をもみ、股間をまさぐり、卑猥な言葉を投げかけ…」(P・イガサキ副委員長)と、職場を汚す米国人男性従業員の非行ぶりを暴露する内容だった。

 三菱は驚いた。良質の労働力を提供すると約束しながら、実は度し難いワルがまだ大量に紛れ込んでいたというのだ。米国はうそを並べ立てて外国企業を誘致したことにもなりかねない。

 とはいえ不心得者はどこにでもいる。十分反省して今後はいい人材を米国が提供してくれればそれでいいと三菱は考えた。

 しかし三菱はイガサキの次の言葉を聞いて仰天する。「これほど野放図にセクハラが行われてきたのは三菱が意図的にセクハラを黙認してきたからだ。EEOCは三菱に損害賠償を求める集団訴訟を起こすものである」

 米国はセクハラにはうるさい。だから三菱では日本人社員に日本の週刊誌は持ってくるなとまで命令している。そんな企業がセクハラを奨励していた、という言い分は冗談としか聞こえなかった。

 しかし、事態は思わぬ方向にいく。「日本人管理者が承認や同意を与えない限りこんなひどいセクハラ横行はありえない」(ワシントン・ポスト)「日本では二十八歳以上の独身女性は売春婦とみなされる。日本的指導を受けた(米国人)従業員がセクハラに走るのは当然」(シカゴ・サン・タイムズ)。米国メディアは足並みそろえてEEOCに同調する三菱攻撃記事を載せ続けた。

 議会の女性議員も非難声明を出した。女性団体は三菱の車をボイコットする運動まで起こした。官民一体の実にみごとなチームワークはEEOCの主張が事実かどうかは置いて、それを“真実”に仕上げる作業に没頭した。

 この十一日、二年間がんばった三菱はついに折れて三千四百万ドル(約五十億円)の和解金を支払い頭を下げた。

 進出企業にとって現地のインフラや労働コストは重要である。でも、もっと大事なのが治安である。誘拐や殺人、それに恐喝、詐欺もある。引っかかると結構、悔しいものである。